折茂武彦(レバンガ北海道)選手との対談で感じたことなど(後編)
(対談記事はこちら→
http://www.asahi.com/articles/ASJDQ4KB7JDQUTQP00K.html )
人間折茂は二人いない。
球団社長として、選手として、ひとりのなかでどうやってその二つの折り合いをつけ両立させているのか?
そのどちらか一方になりたくてもなれない人がほとんどなのだ。
二つの比重はどうなっているのか?
「社長業といってもバスケ以外何もやってこなかったのだから、今も勉強しながらです。
自分がどうというより、たくさんの人の助けがあってこそやれていること。」
二足のわらじを履き始めた当初は生まれて初めて「眠れない」経験をした。
頭が動きっぱなしで寝てもすぐに目がさめる。
「10時間とか平気で寝ていた男が」
と懐かしむように笑う。
お客さんとの関係は、とんがってた若い頃と球団経営をする今とでは180度変わった。
かつては企業から給料をもらって、少ないお客さんの前でプレイしていた。
お客さんを意識したことはなかった。
全ては自分のため。あとは、後に続く選手のため。
プロバスケ選手が野球やサッカーの選手より下に見られることに納得がいかず、
バスケでも大金を稼げるんだよという前例になりたい思いがあった。
交渉を頑張って給料を上げてもらった。
もちろんそれに値する働きをしている自負はある。
その結果、他チームから「折茂にそんなにあげないでくれ(うちも上げなくちゃいけなくなる)」という声が聞こえるほどのサラリーを得た。
それでも野球選手とはゼロが一つ違うのである。
大企業のチームであるトヨタ自動車から新興プロチームである北海道に移籍し、その待遇の違いに衝撃を受ける。
専用の練習場があったトヨタと違い、廃校の体育館での練習。
バスで6時間の移動。
試合の後、これで夜ご飯食べてと渡されたのは500円玉1個の時もあった。
しばらく意味がわからず立ち尽くす。
プロ球団は当然チケット収入がなくては立ち行かない。
折茂は看板選手としてファンやスポンサーの前など、色々出て行かなくてはならないことに強烈なストレスを感じた。
それまでは試合や練習、トレーニングなど、バスケそのもののために費やす時間以外は自分のための自由な時間だった。
そんな時間を奪われることほどストレスの溜まることはなかった。
しかし、そんな活動が実り、北海道で「チームの顔」として知られてくると、街で声をかけられる頻度も増えた。
怪我をしているときなど、おばあちゃんなどからも「早く治して」「早く戻って来てね」と声をかけられる。
トヨタ時代にはなかったことだ。
そうした声が折茂の意識を徐々に変えていく。
チームが経営破綻した時に、
「北海道のチーム」存続のために自ら理事長を引き受ける。
スポンサーになってもらうようたくさんの企業人に頭を下げ、さらには自らが経営者となり、自分の貯金を切り崩して選手の給料に当てるまでになった。
「あっという間になくなるんですよ。今まで稼いだ分があっという間に」
笑顔で壮絶な話をする。
こんなアスリートがいるだろうか。
レバンガ北海道は現在7勝23敗で東地区最下位。
Bリーグ元年はここまで、レバンガにとって苦しいシーズンとなっている。
たくさん負けることに関しては、日大からトヨタに入った時の落差の方が大きかった。
当時の日大は常勝チーム。
トヨタは今と違いドアマット(いつも踏みつけにされる)チームだった。
年功序列社会の当時のバスケ界で最初の数年は負け続ける悔しさを押し殺し、ある程度の実績と年数を積んだのち、自らチームの意識改革に乗り出した。
初優勝はその後である。
その経験があるから北海道に移籍した後の負け数はまだ我慢できた。
心身を苛むストレスはコート外の方にあった。
コート上は唯一自分の自由が残された場所になっていく。
想像だが、現役を続けている一つの理由ではないだろうか。
「世代交代とか、その言葉自体大きなお世話」
「やれるかどうかが全てでしょ、何歳だろうと」
語気に力がこもる。
動けるのに年齢を尺度に出場時間が減る
→その結果だんだん動けなくなってくる
→引退させられる
そんなサイクルはおかしい。
若手と全く変わらない練習ができて数字も残して、やめる理由がない。
辞めた後のことは頭にない、その時になったら考える。
「レジェンド」の呼称は正直あまり好きじゃないと、やや申し訳なさそうに言う。
将来振り返った時に、そんな存在になっていたらいいなという思いはあるが、今は年寄りだからそう言われてるのでは、と笑う。
この人にこそ、この質問をしてみたいと思った質問がある。
「バスケが上手い」とは何を指すか?
折茂の答えは「支配すること」だった。
試合残り5分の状況を例えに出し、その試合の帰趨をコントロールして、演出して、自分の思うようにコート上の他の9人を動かしてしまうような選手。
最後に必ず勝っている選手。
それが「バスケが上手い」選手。
話しながら彼の頭に浮かんでいるのは、同期のライバルであり、共に日本バスケを引っ張ってきた盟友とも言える佐古賢一氏(現広島ドラゴンフライズHC)だった。
「バスケはガードだ。」
では今のBリーグでそれに当たるのは?
「やはり栃木ブレックスであり田臥勇太」
田臥に続く、次のBリーグのスター候補たちへの苦言も呈した。
「めちゃくちゃ上手い、しかし華がない」
その主張は、枠をはみ出すものを求めているように聞こえた。
「良い子」が多いということだろう。
ストーリーが見えない。
関心を持つ、応援したくなるようなストーリーをもっと、と呼びかける。
漫画でいうならそれは「キャラ立ち」か。
自分らしさ、自己主張。
ライバル関係の熾烈な戦い、削り合い、その歴史。
個が立ってこそ、その人のたどってきた歴史と人物相関の、縦糸横糸に興味は広がっていく。
その逆もしかり、歴史とライバル関係の中で個が際立ってくる。
そうしてバスケットボール全体のストーリーが豊かに深まっていく。
見る人を能動的に当事者にさせる。
「ぼやぼやしてたら危ないよ」
厳しい口調の裏にあるものは、今度こそこのBリーグが大きくなっていってほしいという切なる願いだ。
日本バスケの変遷を誰よりも知る男の、心からの思いである。
2017.01.20